2016年7月28日木曜日

WAM Sym.25 と父

一昨日の夜、防災無線が鳴った。市内の河川に氾濫の危険が出てきたということで、避難準備情報が流れた。ほぼ同時に有線の防災放送が流れるので台所へ。そこに娘も心配で自室から来た。

娘「何があったの?」
妻「(どこかの川が)ゾースイ(増水)してるんだって」
娘「え?ゾースイ?」(眼がキラーンと輝く)
私「お前の考えているゾースイとは違うから!」

そう、ゾースイと聞いて娘は雑炊を思い浮かべたようだ(笑)。
とは言え、自分も娘のことは笑えない。子供の頃、テレビでのニュースで、
「信越線の○○駅と○○駅の間は上下線とも土砂崩れのため、現在フツーです」と言っているのを
「普通」なのになんでニュースで云うんだろう?と不思議がっていた。「普通」ではなくて「不通」ね。

二ホン語、ムズカシイデスネ~!

話はガラリと変わる。
随分と前になるが、仕事帰りに車のラジオをつけたらモーツァルトの交響曲第25番の第4楽章が流れていた。ネヴィル・マリナー/ASMFの演奏。
映画「アマデウス」でこの音楽で知ってはいたけれど。25番を初めて聴いたのは就職した年の夏だった。ワルター/VPOの演奏。
丁度その頃、父が神経難病と診断された。
自分が子供の頃の父は大変に怖かった。何時間も正座させられたり・・・。学生の身分だったから当たり前なのだけれども、一人前の男とは見てもらえなかった。
就職して、これで少しは認めてもらえるだろうか、親孝行できるかなとか思っていた矢先の出来事。
かなりショックだった。あの時の自分はかなり混乱していたように今になって思う。時に轟轟と風吹きすさぶ荒野に一人立っているような、或る時は滝のような雨になすすべなく打たれ続けているようなそんな状態。
そんなどん底な気分のとき、このモーツァルトの25番をそれこそよく聴いた。なんとも言い表しにくいのだが、どこにも持って行きようのない感情をこの短調の調べにのせてどこかに飛ばしてしまいたかったのか?それとも浄化したかったのか。どうにもならない現実のもどかしさをモーツァルトの25番は少し軽くしてくれたと思う。
十数年の闘病の後、父は亡くなった。亡くなる2,3年前から意思の疎通が困難になった。そうこうするうちに膵臓癌が見つかり、結局はそれが原因だった。2001年7月27日。あの日も暑かった。

亡くなる2カ月前、結婚を決めている人を紹介することができた。そのころの父はもうほとんど反応がなかった。でも安心したんじゃないかと思う。最後の親孝行。
あれから15年。自分は父を超えることができただろうか、はなはだ自信がない。
でも何とか家族は守っているよ。親父。




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