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2016年7月31日日曜日

Mclntosh ご帰還

いや~、茹だるような暑さとはこのことだ。エアコンなしでは一分たりともいられない。

そんな中、いつも懇意にしているショップのNさんが修理の完了したアンプを持ってきて下さった。
二人して、汗を掻きかきセッティング。
収まるべきところに収まって見た目もグッド。
出てきた音はすっかり以前のキレのある音に。左右の音量差があったときは左右バランスつまみで調整していたが全体的な音量は低下していた。よってメインのボリュームを11時くらいにしないとならなかったが、久しぶりに聴くそれは9時くらいで十分な音量であって、なんだか頼もしい感じ。
音像もちゃんとセンターに定位している。ありがとうございました。

修理中、中国製のデジアンを使っていたことは以前にも書いた。このデジアンしか知らないのであればこれでも十分な音がするが、上から下までスッキリした感じでやっぱり現代風の音。マッキントッシュさんたちの音を聴いてしまうとね。やっぱり。
出てくる音に余裕があるし、全体に濃密。なによりもダンピングの効いた粘りのある低音が堪らんです。ハイ。
そうそう、この音に惚れちゃったんだってことを再認識。
今回の修理で交換していただいた部品は40点あまり。リフレッシュしてきたMC2255。なんだかとっても快活でキビキビした印象。それに細かいところがよく聴こえるようになった。もう少し艶やかさとフォーカスの合った音になれば良いかな。この辺りはもう少し鳴らし込みが必要なのだろう。

楽しみ。



2016年7月30日土曜日

音楽への愛情は・・・ Tchaikovsky Sym.4-6の場合

いつも拝見している、ばけぺんさんのブログに組み物のCDで曲が2枚に跨ってしまうことについてコメントさせていただいた。

どういうことかというと、よくある例としてはチャイコフスキーの後期3大交響曲集。あとはラフマニノフの交響曲全集とか。あとマーラー全集なんかでもよく見受けられる。ハハ~ン、と納得いただけたかな?
チャイコの場合、だいたいDisc1に第4番全曲と第5番の1,2楽章、Disc2に第5番の3,4楽章と第6番全曲という具合。以前から5番を聴く際に一々ディスクを取り換える作業が面倒で気に障って仕方がない。手元にある後期3大の2枚組CD5種類のうち3種類で5番が犠牲に。残り2種類はそれぞれ4番と6番が犠牲になっている。収録時間の都合で致し方ないといえばそうなのかもしれない。
けれども、曲を途中で楽章の切れ目とは言えぶった切るのはどうなのさ。

七味はそこに作り手の曲や音楽に対する愛情の欠如を感じるのだな。もし本当に音楽が好きならそんなことできないはずだよ。
買う方もそんなディスクは買ってはいけません。そんなディスクを買うということはやっぱりその曲、音楽に愛情を感じていないってことになるんじゃないですか?                                                  (伊丹十三 風に)

な~んて、ね。
じゃあ、同じ演奏のディスクで、ぶった切られていない3枚組とぶった切られてる2枚組があるとして、価格はもちろん2枚組のほうが安いとしてどっちを選ぶかって話ですよね。LPみたいに詰め込むと音質に影響するっていうんなら3枚組でしょうが、CD関係ないもんね。やっぱり安い方買います。でもぶった切られディスク、あんまり聴かないのも事実。音楽に魅力があってもやっぱり商品としてはどうなのってことなのか。チャイ5を聴くときは自然と1枚もの、もしくは全集の中から手に取ることが多いかな。

じゃあ、CDにはどれくらい詰め込めるのだろうか。昔むかし、小澤征爾のマラ8のCDを買った。CDが出始めの頃で6000円だか6600円くらいした。2枚組でDisc1には第1部、Disc2には第2部を収録。で、何年後かに廉価シリーズで再発売。その時は1枚になっていた。2000円くらい。なーんだ、入るんじゃん!と思った。今考えると当時はLPの収録に準拠した格好だったのだろうと思う。今ではマラ8は1枚がフツーになった。CDの収録時間も74分と初めの頃は言われて、それ以上収録すると再生できない場合があるという噂があったような、ないような。現在では80分くらいは入りそうだけれど。どうなのだろう。

LPの時代もCDの時代も詰め込みは廉価盤の常。収録時間が増えたからといって矢鱈めったらくっ付けるのも品がない。クライバーが存命の時、彼は絶対に詰め込ませなかった。だからベートーヴェンの5番と7番が収録されたディスクが出たのは彼が亡くなってからだった、と思う。ちょっと自信ないケド。


2016年7月28日木曜日

WAM Sym.25 と父

一昨日の夜、防災無線が鳴った。市内の河川に氾濫の危険が出てきたということで、避難準備情報が流れた。ほぼ同時に有線の防災放送が流れるので台所へ。そこに娘も心配で自室から来た。

娘「何があったの?」
妻「(どこかの川が)ゾースイ(増水)してるんだって」
娘「え?ゾースイ?」(眼がキラーンと輝く)
私「お前の考えているゾースイとは違うから!」

そう、ゾースイと聞いて娘は雑炊を思い浮かべたようだ(笑)。
とは言え、自分も娘のことは笑えない。子供の頃、テレビでのニュースで、
「信越線の○○駅と○○駅の間は上下線とも土砂崩れのため、現在フツーです」と言っているのを
「普通」なのになんでニュースで云うんだろう?と不思議がっていた。「普通」ではなくて「不通」ね。

二ホン語、ムズカシイデスネ~!

話はガラリと変わる。
随分と前になるが、仕事帰りに車のラジオをつけたらモーツァルトの交響曲第25番の第4楽章が流れていた。ネヴィル・マリナー/ASMFの演奏。
映画「アマデウス」でこの音楽で知ってはいたけれど。25番を初めて聴いたのは就職した年の夏だった。ワルター/VPOの演奏。
丁度その頃、父が神経難病と診断された。
自分が子供の頃の父は大変に怖かった。何時間も正座させられたり・・・。学生の身分だったから当たり前なのだけれども、一人前の男とは見てもらえなかった。
就職して、これで少しは認めてもらえるだろうか、親孝行できるかなとか思っていた矢先の出来事。
かなりショックだった。あの時の自分はかなり混乱していたように今になって思う。時に轟轟と風吹きすさぶ荒野に一人立っているような、或る時は滝のような雨になすすべなく打たれ続けているようなそんな状態。
そんなどん底な気分のとき、このモーツァルトの25番をそれこそよく聴いた。なんとも言い表しにくいのだが、どこにも持って行きようのない感情をこの短調の調べにのせてどこかに飛ばしてしまいたかったのか?それとも浄化したかったのか。どうにもならない現実のもどかしさをモーツァルトの25番は少し軽くしてくれたと思う。
十数年の闘病の後、父は亡くなった。亡くなる2,3年前から意思の疎通が困難になった。そうこうするうちに膵臓癌が見つかり、結局はそれが原因だった。2001年7月27日。あの日も暑かった。

亡くなる2カ月前、結婚を決めている人を紹介することができた。そのころの父はもうほとんど反応がなかった。でも安心したんじゃないかと思う。最後の親孝行。
あれから15年。自分は父を超えることができただろうか、はなはだ自信がない。
でも何とか家族は守っているよ。親父。




2016年7月26日火曜日

爆演系なのか? Carlos Païta AD 8&9

カルロス、と聞いてトシキと答えた君は1000%。ゴーンと答えた君はクルマ好き。クライバーと答えた君は良識ある人。パイタと答えた君はちょっと変わった人だね、きっと。

別にカルロス・トシキが言いたくて、というわけではない。今日、たまたまクナのワーグナーアルバムが聴きたくて、ドヴォルザークとワーグナーのディスクを入れている箱(特に意味はない)の中を探していたら見つけた、パイタのドヴォ8と9番。いつ買ったのかも覚えていない。聴いた覚えもない。でも買ったんだろなー。モノは試し、どんなもんかと聴いてみた。

で、感想を一言でいうなら、「判っかり易ぅ~」だ。デカい音はデカい。速いところは速い。単純なんだ、この人は。9番終楽章のティンパニの強打が矢鱈と大きい。通常の3倍の大きさだ。コーダ、デミヌェンドで儚く消えるように終わるところでは通常の3倍伸ばす。でも、どうしてもそこに必要性を感じない。何故3倍大きくするのか?3倍長く伸ばすのか?単にそのほうがカッコイイから、か?要は自己主張が強いのだ。エゴイスティックでナルシスト。オケをドライヴすることが第一義、そんな感じ。
聴いていて気になるのは音楽に対する感興が薄い。非常に薄い。食べ終わり間近の素麺のツユくらい薄い。あまり曲そのものには興味ないらしい。
まあ、爆演という括りでよいのかも。どこかで許光俊がこの人のワーグナーとR.シュトラウスを持ち上げていたように記憶している。聴いたことがないのでなんとも言えないが、このドヴォを聴いて、じゃあワーグナーもという気にはならない。ファンの方には申し訳ないが致し方なし。許してほしい。
とは言え、15年前の「と」盤探しに没頭していた自分だったらスゴイと思うのかはわからない。

今日は、直江津の花火大会なのだがこの夏一番の土砂降り。梅雨が明けたというのに、だ。多分中止(もしくは延期)だろうと思う。今朝は福祉施設での殺人事件のニュースで目が覚めた。亡くなられた方には心よりご冥福をお祈り申し上げたい。しかし、犯人の青年に何があったのだろう?その心の闇が怖い。


Lodia LO-CD 789


2016年7月23日土曜日

三銃士、再結集! Ansermet / OSR Stravinsky 春の祭典

2週間の間を置いて再集結した三銃士。今回は富山県黒部はうな君邸に参上した。
しかし、間隔が2週間とはこれまでにないハイペース。七味はこのところ夏バテ気味。黒部まではシンドイなぁと思っていたところに助け舟。ここは素直に甘えさせて頂きました。kazuさん運転ありがとうございました。
うな君もありがとうございました。皆さまに宜しく。お盆はコッチに来るの?かな。

うなぎの寝床と称される細長い部屋。一聴、気品溢れる音。高い天井から音が降り注ぐような感覚に息を呑んだ。
システムに合わないといっていたクレンペラーのモーツァルトも良かった。ヤルヴィのマラ8も上から下までスーッと伸びていて神々しい響き。マゼール/CLEのハルサイもシャープ。七味の好みからいうと、も少し低音の下支えがあっても良いのじゃないか?低音があったほうが高音の美しさがより一層際立つんではないか、と思った。

ハルサイを聴きながら、それぞれが好きな演奏者を挙げていったところ、Kazuさんはアバド/LSOとシャイー/CLE。うな君はマゼール/CLE、七味はアンセルメ/OSRとバラバラ。Kazuさんの好みは良く歌い機能性に富んだ演奏だろうか。うな君は変態演奏がお好き(笑)。七味は古風、というよりヨボヨボの爺さんが好きということか。というのは冗談としても、アンセルメの演奏を侮ってはいけない。

確かに演奏は現代の水準に照らしてみてもどうにも聴き劣りしてしまう。リズムの処理は甘め、と思う。ただ、ブーレーズ/CLE(CBS)以降のリズム重視とも思える演奏の数々を聴くにつれ、アンセルメのハルサイが好ましく聴こえてくるから不思議。リズムが決まらないせいで結果的に旋律に注意が向いてしまうのかもしれないし、そうではないのかも。とはいえ、それほど計算高い(でも数式は得意!)指揮者ではないだろう。オケも指揮者も大健闘。ときおり大きなタメを作るあたりも時代を感じさせる。結果的に現代音楽だったということを強く印象付けられる。
録音はやっぱり古い。でも上手い録音だと思う。オンマイク気味のいつものデッカ録音。混濁もなく聴きにくさは感じない。合わせて聴いた「ローマの松」もグッド。

DECCA UCCD-3857



2016年7月22日金曜日

コレクション、の魅力ではなくて魔力

ウワサの「ポケモンGO」。職場のスタッフが早速DLして休憩時間に遊んでいた。「ゲットだぜ~!」って、何歳なんだよ?全く・・・。
七味は全く興味はないデス。ただ気になるのは経済的効果の大きさに注目が集まってリスクに対する報道が減りはじめていること。アメリカの例を持ち出すまでもなく、コレ事故とかかなり危険な気がするんだけど。警鐘を鳴らすような報道はかなり、少ない。心配。事故が起きたりするとマスコミは手のひら返したようにネガティブな報道を、きっとすると断言しよう。
ま、運転中にポケモンGOをやっている人が飛び出して来て轢くなんてのはノーサンキューだ。

しかし、いつから始まったのか。コレクションする、という遊び方。仮面ライダーカードかプロ野球カードあたりからだろうか。
メンコやベーゴマもコレクション要素が入っているな。七味が子供の頃はビックリマンシール。ピカピカ光るレアカードなんかもあったな。七味はビックリマンシールにもまったく関心がなく、友達が集めているのを横から眺めているだけだった。ただスー消し(スーパーカー消しゴム)とか筋ケシ(キン肉マン消しゴム)など消しゴム系には嵌まった。もうどこかに行ってしまったが。
これはヤバいな、と思ったのは保育園に通っていた娘がナントカという洋服やアクセサリーのカードを組み合わせて遊び始めたのをみてから。
モノを集める快感。この所有欲をくすぐる仕組み。よくできている。七味は子供の頃から所有欲をくすぐられまくった世代。これは手が付けられないよ。大人になってお金がある程度自由になるとCDのコレクション。もちろん聴きもするが、持っているという満足感、充足感。他人が持っていないCDを持っている優越感。または自分は持っていないという劣等感。
上手に転がされている気がしてならないなぁ~。

2016年7月18日月曜日

O.Klemperer / PO. JSB The Orchestral Suites (Rec.1954)

またまた問題が。
現在マッキントッシュさんたちが修理にお出掛けているので、留守は中華デジタルアンプがお勤め中。CDPからデジタルEQを経由してアンプへ、そしてスピーカーに。
ところが、ところがである。音像が今度は右に寄っている。寄っちまってる。マッキンさん達のときは左に寄っていたし・・・。繋ぐときに間違えた?イヤイヤ、確認するも結線は問題なし。原因はアンプじゃないの?もう何がなんだか訳が分からぬ。仕方なくEQで左chを3dB上げてバランスを取る。するとモノラル録音の音像がセンターに。気持ちが落ち着く。

ということで今、クレンペラーの管弦楽組曲を聴いているところ。このディスク、シメシメ、セール中で安いワイ、と喜び勇んで買ったもののモノラル録音。それでも気を取り直して聴くも第1組曲冒頭のあまりの遅さに、さすがに閉口。以来あんまり聴くこともなかった。クレンペラー、このところ七味のなかでは絶賛リバイバル中。どんなもんかいなとトレイに載せると、アラ良いぢゃありません事?モノラル録音とはいえ、50年代中盤、モノラル円熟期の録音。随分と聴きやすい。センターにポッカリと浮かぶ音像にもセパレーションが感じられる。ちょうど虹色に光るシャボン玉のよう。歪みも少ない。「モノラルなんか聴きづらくて聴く気がしねぇ」と言っている御仁がネット上で多く見受けられるがそんなに聴きづらいかね。ま、お好きに、という感じだが、確かにEQを導入によって随分と聴きやすくなったモノラル録音。スピーカー1本をセンターに置いてというのがホントは良いのだが1本モノのスピーカーが中古で出てこないのと、予算的にも実現までの道のりは険しい。

クレンペラーのバッハはコレとマタイ、ロ短調ミサしか持ってないが、バッハ演奏におけるクレンペラーは格調高く、重心が低い。それでいて音楽が良く動く。決して鈍重ではない。敬虔さと厳しさ、それに優しい眼差し、慈しみといった感情が豊かに、そしてバランスよく響く音楽となっている。

組曲第3番の第2楽章は言わずと知れたAir。追悼の音楽として震災のときや死者を悼むときに演奏されることが多いけれど、悲しいときもうれしいときにも、まるで水が沁み込むがごとく心に入ってくる音楽。やっぱり名曲。いまさらだけど。

さて、3連休も終わり。
明日から仕事。そして週末はうな君邸で三銃士の会。体調を整えていきましょう。


TESTAMENT SBT 2131


2016年7月17日日曜日

いくらなんでも・・・コレはない!

昨日、HMVの中古のページを見ていてみつけた。
これはいくら何でも高杉晋作。
15万って・・・。本気(本気と書いてマジ)?






2016年7月15日金曜日

O.Klemperer WAM Box

先日、東京に行くという、うな君にお願いしてクレンペラーのモーツァルトBOXを買ってきてもらった。結局頂いた形となった。ありがとう、うな君。
デジタルアンプに変えてから此の方、我が家ではこれがずっと掛かっている。

デジタルアンプは快調快調。これしか知らなければずっとコレで良いと思える。しかしマッキントッシュのアノ、ドスの効いた低音と濃厚で艶やかな音を知る者としては、ちと物足りなさを覚えるのも事実。特に低音は結構下まで伸びているがグッと沈みこむような音が出ていない。ま、10Wなんで。なんとかマッキントッシュさん達を修理に出したいですな。
思い切って妻に相談すると以外にもOKとのこと。さっそく懇意にしているNさんに連絡。早速に取りに来て頂いた。どうなることやら。

クレンペラーのモーツァルトは本当に素晴らしい。全く自然体のモーツァルト、かな。この音楽は頭で考えて出てくるような音ではない、と思う。昨今のピリオド系の演奏が小賢しく思えてしまう。クレンペラーの呼吸がそのままモーツァルトの音楽になったような演奏。
クレンペラーのモーツァルト、というとどうしても優先順位が低くなるのは致し方なし。マーラーの直弟子ということもあって、まずマーラー、次いでベートーヴェンということになろうか。どっしりとしたクレンペラーのスタイルからは想像もつかないモーツァルトではあるが、そこはさすがクレンペラー様である。しっかりとモーツァルトしている。というかやべぇ。ワルターのステレオ録音よりも良いかも。
実は、国内廉価盤で40、41そのほかを持ってはいたもののB&Wで聴いてもあんまりピンと来なかった。バークレイに変えてからクレンペラーの演奏が見違えるほどに良い音で鳴るようになったのは予想外でうれしい誤算、ではある。

ようやくの3連休。あっという間の一週間ではあったがハードな一週間でもあった。妻と娘は泊まりでお出かけの予定。七味は留守番である。何しようかなー。

2016年7月10日日曜日

中華デジタルアンプの実力

左右の音量に差があることはこのブログでもたびたびご報告申し上げているとおり。先日、アンプの電源を落として、出勤した。帰宅後電源を入れて音楽を聴くと左右差は消失していた。が、翌日電源を入れっぱなしにしていたらまた元の木阿弥。そうするとどうにも気になってしょうがない。多分、アンプのボリュームかなんかだとは思うのだが、2台ともボリュームがついているのでセパレートのプリ・パワーのどちらか(考えにくいがもしかしたら両方?)に原因があるように推測される。でもどちらかには容疑者は絞り込みきれず。思い切って2つのアンプを一時的にやめてみることにした。

で、ご登場願うのは以前に予備に買った中華製デジタルアンプ。TOPPING TP10-mk.4。元々はテレビの音声用にと思って買ってあったもの。結局テレビには使用せずお蔵入りしていたもの。
駆体は50mm×80mm×156mmで450gほど。8Ωで10w×2ch。12vACアダプタ。外観は画像のとおりフロントにメインボリュームがあるきり。電源スイッチは背面にある。入力はRCA1系統のみというシンプルさ。一つ文句があるとすればボリュームの質感。スムーズに回らない。
これにCDからEQを経由して繋ぐ。

バッハのバイオリンソナタをトレイに載せてスタート。恐る恐るボリュームを上げていくと・・・ちゃんと出た!音が出た。ややそっけない風情で艶っぽさは少ないが雰囲気は良さそう。
では、大編成モノはどうか?うな君から借りているブーレーズのマラ8をば。ふむ、これも悪くない。低域のダンピングがそれほどには効いていないのは仕方ないか。それでも低音は結構伸びている。楽々とドライヴ、というわけにはいかにが十分鑑賞に堪えうるレベルの音がする。ただ高音域は10kHzあたりのチリ付きがわずかながら気になるところ。広がりもマッキントッシュのペアに比べても遜色ない感じ。バークレイのようなちょっとクセというか味のあるスピーカーではこのアンプのそっけなさ色艶の無さはそれなりに上手く隠れされるのかもしれない。現代的なスピーカーでは逆に目立ってしまうかも。

確か1万円を切る価格だったことを考えると、こんなものかという月並み、かつありがちな感想よりは1万円弱でコレだけの音が出るのか!という驚きが先にくる。いまのところEQの上に載せているが、軽いためケーブルの重さに引っ張られてしまいちょっとしたウィリー状態。フロントをアルミの厚いものにしているのもそこを考慮した結果と思われるがそれでも浮いてしまう。仕方なく使っていないディスクスタビライザーを載せることにした。
エージングが必要なのかどうか?音が変化してくるのか?アンパン齧りながら(それは張り込み)ちょっと聴き込みしてみますワ。

このアンプにすると音量の左右差は解消、てぇ~ことはやっぱり原因はマッキントッシュだった。
そいで、そのマッキントッシュさん達であるが、今のところ修理に出す予定、というかお金がない。どうしたもんじゃろのぅ~(byとと姉ちゃん)。
うな君、やっぱりC-06貸してー!


TOPPING TP10-mk4
ボリューム周りのブルーのライトがクール

フロントのアルミも効果なくスタビられています

オーディオ三銃士、参上! ちょっと恥ずかしい・・・

昨日はイトコのうな君とKazuさんのお宅へ。うな君は金曜に我が家にご宿泊いただいた。久しぶりに酒を酌み交わし、たくさんたくさん話をした。いつもの音楽談義、オーディオ談義はもちろん、それに加えて子供の話も。子を持つ親の話が増えて、歳を重ねたことを実感した次第。自分の親達もそうだったのだろうか。

さて、「オーディオ三銃士」とは娘が命名してくれた。今日、Kazuさんトコにうな君と遊びに行くと伝えると、そう言い放った。何か楽しそう、らしい。同じ趣味を持つ気の合う仲間同士でつるむのが。そんなお年頃なのね。ちょっとこッ恥ずかしい気がしないでもないが誇らしくもありフクザツ~。ま、拝命するといたしましょう。オーディオ三銃士。
Kazuさんは自身のシステムの音を箱庭的とおっしゃるが上下の帯域がグッと伸び、まるでホールで味わうかのような深々とした奥行き感と長めの余韻が印象的。全く部屋のサイズを感じさせない。心地よさについつい音楽を聴きながらウトウトしてしまった。
それにしてもなんて品位の高い音がするのだろう?音は人を表す、わけでやっぱり人柄が表れているのだろう。リスニングルームも整頓されていて我が家とは大違い、である。
我が家に帰って、さっそく音楽を聴くもKazuさんのところで聴いた音楽は幻だったか?全く品のない音で閉口。調整がいるな~。とその前に部屋の片づけが先か。

懸案の左右の音量差問題。なんだか音量差が大きくなっている気がする。プリの左右バランスノブも右に2時半ぐらい回さないとセンターに音像が定位しない。原因はアンプにある、と思われるがはっきりとしない。今日はマッキントッシュから中華デジアンに変えてみようと思う。その前にバナナプラグを調達しなければ。
あっ、あと投票もね。






2016年7月4日月曜日

ぐったり

この週末は寝不足であって、体力回復というよりは消耗。で今日月曜日。朝から結構な雨。例によって職場のエアコンが全く機能しないにもかかわらず窓を閉め切っているので室内はちょっとした蒸し風呂状態。もうたまりません。
食欲も湧かない始末。なんとか昨夜の残りの牛丼の種で胃に流し込み、早々に横になろうかと思いつつも少し音楽を聴く。
ちょっとだけ音楽を聴こうという時に、最近手に取るのはシューマンのピアノ曲集。ケンプのピアノは隙だらけに見えて実は結構鋭い。まるで居合の達人のごとし。

子供の情景。癒されるわ~。寝る。

今日はアンプの電源を落として出勤した。別にどこかに落としてなくしたわけではない。当たり前だが。で、スイッチを入れてみると、アラ不思議。左右の音量差が解消されている。ただ、電源を入れた直後はやっぱり音が硬いかな~。

今日、うな君はハーディング/新日の「千人」を聴きに東京はサントリーホールへ。ウラヤマシイ。帰ったら感想を書くように!

バイバイ。

2016年7月3日日曜日

暑っちゃい Maazel / PO GM3

暑っちゃい。暑っちゃい。フリッチャイ。
昨日(土曜日)は窓を開けても涼風は微々とも吹かず。仕方なく閉め切ってエアコンをON。
前の晩も寝苦しく、夜中に目が覚めてしまい、仕方なくウィンブルドンを見ていた。おかげで寝不足。それに加えての昨日の暑さ。で、夕べも暑くて眠れなかった。2日続いての寝不足。もうヘロヘロ、体力の限界である。
週末になったらアレを聴こう、コレを聴こう、と考えていた。が、それどころではない。あまりの疲れと眠さに音楽を集中して聴けない。気が付くと意識がない(笑)。

少しカロリー高めの音楽を、ということでマゼールとフィルハーモニア管弦楽団のマーラーの3番を。
マゼール2度目のマーラー全集は基本的にはウィーンとの全集と方向性は変わらないものと思っているけれど、終楽章はテンポが速くなっている。他の楽章は比較はしていないが音楽の運びがさらにじんわり、じっくりとしている印象。オケがフィルハーモニアO.ということもあって、歌いまわしが率直で、ウィーンよりも音の圧は軽いし、録音もSonyほど硬くないが、ライヴ録音ということもあってか、それほど良い録音でもない。

3番のキモはすべての音楽が終楽章コーダにむかって収斂していくところにあると七味は考えている。マーラーは表題を取り去ってしまったけれど、愛がすべてを包み込んで感動的に終結する終楽章。まったく感動とか愛とかとは縁のない音楽が展開することの多い、マゼールにしては結構エモーショナルなの。この演奏。意外~。
第1楽章の寂寥感も凄い。ぐんぐんと沈んでいく。音楽が進むにつれてだんだんと気持ちが高揚していくハズなのに盛り上がらない。音は大きくなるというのに全く盛り上がりを見せずにジャン、とお終わる。なんだか聴き手の感情がついていかない故、巨大な廃墟か幻を見せられているような感じがする。

こんなマーラーが面白いのか、と。虚しさを強く感じさせる3番が面白いのか?
しかし、自分は何を求めてマーラーを聴くのだろう?こんなことを問うてくるマゼールのマーラー。なんて稀有な体験なのだろうか。

もうすぐマゼールが亡くなって2年目の夏が来る。